なぜ熊本県八代市はいぐさ・畳表の生産が盛んなのか
熊本県と聞けば、馬刺しやトマト、阿蘇山など自然が豊かなイメージがあるかもしれません。
しかし、上記の作物以外にも、熊本県八代産のいぐさは全国で一番のシェアを誇ります。
なぜいぐさの栽培は熊本県八代市が盛んなの??
答えとしては、畳表の原料となる高品質な「いぐさ」がたくさん収穫できるからです。
いぐさは、畳の表面に使われる畳表(たたみおもて)に使われており、畳の独特の香りはいぐさによるものなのです。
しかし、なぜ熊本県八代市でいぐさの栽培が盛んなのか、歴史的背景と地理的な背景から見ていきます。
[歴史的観点]
いぐさの神 岩崎主馬忠久
時は遡り、南北朝時代。八代一帯は当時海でした。
その中でも八代市千丁町の上土(あげつち)は海辺の重要な拠点でした。
そこで上土に城を築き、岩崎主馬忠久(いわさきしゅめのただひさ)が当主となりました。
この上土城の跡が、現在の岩崎神社であります。
この地域では水はけが悪く、作物が育たない事が町民の悩みでありました。
そこで、永生2年 (1505年)岩崎主馬忠久が町民に産業としていぐさの生産を勧めました。ここから上土城一帯でのいぐさの栽培が始まりました。
[当時は貴重な畳表]
現在は土地と生産設備を持てば、いぐさの栽培自体は可能です。
しかし、当時は畳を使用する事自体が位の高い人達に限られました。
従って、いぐさの栽培も上土付近の5カ所の村でのみが生産を許されました。
これが「お止草」(おとめぐさ)という制度です。
畳を一般人が使用可能になったのは明治維新以降と最近の話でした。
お止草の廃止以降は八代の地域でいぐさの栽培がされるようになりました。昭和1955年代から八代市の畳表産業は好況を迎え、ピークの絶頂は1994年とその後も
日本一の畳表・いぐさ生産は日本一であり、”熊本表”の名を揺るぎないものにしました。
[地理的背景]
・大量の綺麗な地下水を利用できる
熊本県南部に位置する熊本県八代市。
八代市には、日本三大急流と言われる球磨川が流れており、八代北部には氷川をはじめとする複数の川が流れております。
日本は島国であり、海外の国と比較して山と海の距離が近い事から、川の長さが急であり、長さが短い事が特徴です。
このような川は、一般的に不純物が少ない事が挙げられます。
したがって、綺麗な地下水が、球磨川と氷川の間に位置する地域に流れております。
いぐさ栽培には大量の水を使用します。
大量の綺麗な水を使用する事が出来たのにもいぐさ栽培に好都合な環境であったことに結びつきます。
・かつて海だったことから塩分が含まれる
冒頭で説明した通り、八代の地は海でした。
そのため、地中に塩分が含まれており、茎の固いいぐさを作るのには適した土地だったという説もあります。
いぐさの生育にとって土壌に適度な塩分を含んでいることは、いぐさが長く、強く育つうえで重要な要素となります。
・梅雨時期の降水量と冬の平均気温の高さ
梅雨になると、八代は高い気温に加えて 水田も多くジメジメした環境になります。
梅雨時期になると雨もたくさん降り、400ミリ前後の降水量を記録する雨の多い地域です。
冬場の平均気温においても、11度〜から12度と暖かい事が挙げられます。
また、日照時間も長い事からいぐさの生育に適した土壌である事が挙げられます。
【まとめ】
①南北朝時代に岩崎主馬忠久が、いぐさの栽培をを八代市千丁町で奨励した事が熊本表の始まりであり、千丁町を起点に八代でのいぐさ栽培がスタートした。
②球磨川と氷川に挟まれた湿地帯により、
綺麗な地下水が豊富に流れる事から、
・水を大量するのに都合の良い環境でありました。
・もともと海だったため、いぐさの生育によい塩分が土壌に含まれること。
・日照時間が長く、梅雨時期の降水量が多いことに加え、冬の平均気温も11度〜12度といぐさの生育には適した環境であったこと。